「私はふたつのときにしかシャンパーニュを飲まない。それは恋をしているときと、していないとき」
これはココ・シャネルの言葉。つまりは、いつも飲んでいるということなのですが、時間を恋に置き換えるなんて素敵な表現ですね。
これを戦地に赴くたびにシャンパーニュ・メゾンを従軍させるほど愛飲していたナポレオンが表現すると「シャンパーニュは勝利のときに飲む価値があり、敗北のときには飲む必要がある」となります。
アメリカのハードボイルド小説になると、探偵が1日の憂さをウイスキーで流し込むとなり、潜入捜査をしているのに洒落たバーでウイスキーを頼んで捜査官であることが娼婦にバレてしまい、英国紳士になるとウイスキーに入れるのはウイスキーだけと言い出すわけです。
ウイスキーと米国的な無骨さや英国的なウンチクが結びついて世界が広がるのですが、どうにも即物的な印象が拭えません。それに対し、デザイナーのココの表現も軍人であり政治家でもあるナポレオンとシャンパーニュの表現も、悲しくもあり愉快でもある人生そのものを伝えているようです。まさにカミュやサルトルを生んだ国らしいですね。しかも、シャンパーニュ地方だけの特別な冠を施したワインを選ぶセンスに頬が緩んでしまいます。
そういえば、1960年代から70年代にかけて活躍した米国のレーシングドライバーのダニエル・セクストン・ダンガーニが1967年のル・マンにAJフォイトと組んでフォードGTマークIVで優勝した際に、喜びを抑えきれないアメリカ人らしく表彰式で渡されたモエ・エ・シャンドンを歓喜のあまり振ったのがシャンパンファイトの起源だという説があるようです。
日本では、パーティなどの記念日の最初の乾杯に使われることが多いシャンパーニュですが、じつは食前、食中、食後にもマリアージュできるできるのでお試しになられてはいかがでしょうか。
その液体がフルートグラスに注がれるとシュワっと音を立ててキラキラと輝きながら立ち昇る無数の泡に見惚れてしまいます。なぜ泡が立つのかを考え出すと科学の領域に入ってしまいそうです。
スパークリングワインと言ってしまえばその通りなのですが、泡の立ち方とひと口めで一般的な果実酒に炭酸を注入したものとはまったく違う味わいであることに気づくと思います。
ワインは樽やボトルというゆりかごに寝かせ、自然の力が生んだ素材に人が優しく手を添え、暗い蔵の中でひとつひとつの寝相を尋ねていきます。それが技として昇華され、勘を磨き、シャトーやドメーヌ、メゾンごとの味わいを造りあげるのです。ワインも待つ、人も待つ。そして、シャンパーニュならではの自然の力だけの泡が立ち上がるのです。この不思議さにうれしくなってしまいますよね。ここは難しいことは考えず、泡に見とれ、かすかな音を聞いていましょう。
みなさまには、このメゾンが好きだという十八番のシャンパーニュはありますか? オハコのシャンパーニュでハコシャンなどと呼んでいるのですが、私が魅了されたのはDRAPPIERのBRUT NATURE。葡萄は豊富なミネラルを含んだジュラ紀のキンメリジャン土壌となるシャンパーニュ地方南部ウィルヴィル村の日照量が多い南向き斜面で栽培されたピノ・ノワールを使用。通常よりも収穫を遅くすることで、味を調整するために加える「門出のリキュール」を加えないノンドザージュでも痩せた感じはありません。
樽からボトルに移し、酸化を抑えるSO2(二酸化硫黄)を注入せずに無添加の状態で24ヶ月間の熟成をさせた味わいは、残糖分が少なくスッキリとドライに仕上げられたとても自然な造りのシャンパーニュです。
暖房が効いた部屋の中で、恋をしているときも、それが恋とは呼べないときも、誰かを想ってシャンパーニュの泡の声を聞くのはいかがでしょうか。